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創業55周年 むかし話 その2

 「まいに~ち まいに~ち 僕らは鉄板の~♪」といえばギネスにも載っているヒットソング「およげ!たいやきくん」。この時代の流行語は「記憶にございません」のロッキード事件。

 この頃、自家給油所を建設、会社も「大沢自動車運送(有)」から「大沢運送(有)」に変更。また社員で遊びに行けるようにとマイクロバスを購入。レジャーも増えることを期待して別会社の「(有)大沢レンタカー」を設立し、そのバスもレンタル開始。
 並行して機械の故障で相談を受けていた会社から、その会社の自家用のローリー車を買って仕事をしてもらえないかとの依頼でローリー車を購入。この時から現在も活躍する粉粒体輸送の仕事がスタート。

 平ボディ、セルフローダー、ユニック、ダンプ、クレーン、冷凍車、ローリー…と車種も増えていき、大量運搬の依頼も増えてトレーラーを購入。しかし、時代はオイルショックになり日本中が大混乱。なかなか燃料の確保が難しい時代に自家給油所が活躍。
 この時に燃料を分けてくれた「出光」さんとは、窓口は変わったが今でも取引をさせていただき感謝です。

 昭和53年、セメントを吹き付けする機械の輸送がスタート。輸送と同時に資材センターを確保し、機械のメンテナンスや修理も開始し、ここから各地へ機械の輸送が増加しました。この仕事を安全かつスピーディーに作業するために県内で初めてリモコン付きの8tユニック車を購入。

 創業から23年が経過し、会社も順調に成長し、これから更なる飛躍を予感させる雰囲気にあふれていました。昭和60年、トラックやクレーンを合わせて60台、社員数は35名でした。
 しかし、この年の冬、突然、創業者が他界。45歳でした。景気も急降下。全社員を集めて経費削減の非常態勢。会津田島に営業所の開設を進めていたものの、仙台陸運支局からの許可も出ず、結局取り下げることに。

次回、その3へつづく

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